「頑張ること」は「存在価値」なのか

「頑張ること」「努力すること」は素晴らしいと思う。でもそれがその人の「存在価値」なのかというと、それは違うと思う。

私は頑張れない。いや、多分、周りから見ると「頑張ってるよね」って言われると思う。今までしてきた数々の勉強も仕事も、「頑張ってる」「努力家」と見られることが多い。でも私自身はそんな意識は全くなくて、ただ単にそれが自分の「喜び」に直結してたから、寝る間も惜しんでバリバリやってきただけ。「喜び」に直結しないことは頑張れない。

だからそういう点を「頑張ってる」と褒められても、「?」でしかない。「好きな事を好きなだけやってるだけなんだけど(汗)むしろそれをさせてもらえてる環境に感謝こそすれ、褒められることではないよね」と。

子どもが嬉しそうに100点の答案を見せてきても

「良かったね^^」としか言えない。褒めない。

「目標を達成してあなたが嬉しいなら、それがママは嬉しい」という図式。もっと高いハードルでも「目標を達成して『偉いね』」とも思わない。「頑張ったね」は言うけど。

それでも「頑張る」ということが、その人の存在価値そのものであるとは思わないし、途中で挫けても、頑張れなくても、その人の存在価値になんら影響はないと思ってる。

夫は「頑張ること」に重きを置く人で、フルマラソンを完走したり、富士山を登頂したりしたとき、私が「良かったね^^」で済ませることにとっても不満げだった。「こんなに頑張ったことを認めろ」と。

いやいやいやいや、「あなたの目標をクリアできて良かったね」だし、「自分がやりたい事やっただけじゃん」だし、そもそもフルマラソンも富士山も、私の興味でもなければ私が頼んだことでもないし。なんで私が「すげー!すげー!」と褒め称えて認めなきゃならんのだ。

いや、ホントすごいとは思うけどさ。でも、どこまでも「自分がやりたい事やっただけじゃん」がベース。

認められたいと思ってやってるのか、自分の喜びのためにやってるのか。

そこなんだよね、私が一番重要視するのは。子育てとかボランティア活動とかでも、主婦業でも仕事でも、自分の喜びのためにやってる、それだけの喜びを得られるなら、誰に認められる必要もないし。

だから底辺の公立高校から有名な大学に入りましたとか、難関資格を持ってますとか、「頑張ったね」ではあるし「頑張れる人なんですね」ではあるけれど、「自分がやりたい事やっただけじゃんね?」がベースにある(笑)

いや、嫌で嫌で仕方なかったし、不満溜めまくって苦しい思いしかしてないけど…というなら、逆に「何やってんだよ(ー_ー」くらい思う。

最近読んだ記事。

 不登校の子どもたちには、無理させず休ませることが大事であるということが、社会にも広く浸透してきました。しかし、この休んでもいいという言葉でかえって苦しむ子どもたちもいます。「これまでに出会ったなかで一番優秀な生徒です」 里奈さん(仮名)は

「先生はわかってない。私はがんばらないと価値がない。休むとダメなんです」と訴えて大声で泣きだしました。(中略)

「私はもう、がんばって登校することができません。でも、がんばることをやめると、生きている価値がないんです」と泣きながら話をしてくれました。

 「私はこれまで生徒会や勉強をがんばってきました。それは自分に自信がないからなんです。何もしない自分は誰からも認められないので、ひたすらがんばってきました。自分ができることは、がんばることなんです。でも、そんな生活にもう疲れました。同級生の子と同じように一緒になってふざけたり、テスト前に遊んだりという生活をしてみたい」とも述べました。

お母さんによると、

 「部活や生徒会に熱心で、成績も優秀で、先生にもほめられてきたので、これでいいと思っていました。でも、本人は、すごくがんばっていたことがよくわかりました。夫が口うるさい人で、子どもたちに『がんばれよ』『怠けるな』と口癖のように言う人でした。里奈はそれをまじめに受け止めていたんでしょうね」ということでした。

泣けるよね。「頑張れ」「怠けるな」私も子どもの頃から何度言われたことか。

頑張れない自分には価値がない。怠けてしまう自分には価値がない。12歳で甲状腺機能低下症(橋本病)と診断されてからは、少しは「怠けるな」は減ったけど、それでも私の「ぐったり感」と「バリバリモード」の差の激しさに、周りの大人は「やればできるのに」の一辺倒だった。

結婚してからも「頑張ってるけど…普通の主婦や母親みたいになれるまで頑張り切れない自分には価値がない」と思ったことが数えきれないほどある。

人は生きてるだけで価値がある。生きてることそのものが存在価値。何かが出来なくても、頑張れなくても、寝たきりでも、認知症でも、その人が存在してくれてるだけで「誰か」の支えになり、笑顔でいてくれたら尚のこと大きな力になってる。

紆余曲折の末、今は私はそう思う。

ちなみに、私にとって何より「頑張りが必要」だったのは、着替えて寝ること、毎日お風呂に入ること、しっかり食べること、通学/通勤、主婦業… どれも一般的には「褒めてもらうほどのことでもないこと」。でも私には本当にハードル高いんだよね、今でも。

どれも、もう頑張ることを放棄した(笑)着替えて寝なくても死なないし、毎日お風呂に入らなくても死なないし、楽しくちょいちょい食べてたら死なないし(むしろ、しっかり食べるとお腹壊す)…(略)…

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