私なりの「子育てのゴール」

私なりの「子育てのゴール」というのがあって。それは

ママが何でも知ってるわけじゃない
ママが何でも出来るわけじゃない
ママがいつまでも側にいれるわけじゃない

だから世界を広げ
外に目を向け
困った時 迷った時には
頼れる人を見つけ
頼れるようになりなさい

子どもがこれが出来るようになったら「親離れ・子離れ」「子育て終了」だと思ってる。

ゴールの前には

自分の決断、行動は自分の責任で決めること(自己責任)
そうすることで「悔い」は減らせるし
人を恨むことにエネルギーを費やすことはなくなる

でも、「失敗したり何かあった時には、言ってね」と言って
待ってくれてる人が居てくれてることを知ること
もちろん、ママは必ずそこに居てる

1人の人や1つのモノに強く依存することなく
どんな話も「そんな説もある」くらいに置いておき
その時の自分にしっくりくるのを選ぶこと

好きなことは好き
嫌いなことは嫌い
その場の雰囲気に何となく流されないこと

出来ることは出来る
出来ないことは出来ない
その時の自分の身の丈とキャパを知ること
それを無理やり乗り越えようとすると自滅する

努力の矛先を間違えず
自分に素直に正直に生きること

辛抱はしても我慢はしてはいけない

本当のところは知らないけれど、我が家では「我慢」と「辛抱」という言葉は使い分けている。 「我慢」はダメ。「辛抱」は時に必要。 ...

多くの人の力と智慧を借りて
独りで抱えすぎないこと

人に迷惑をかけずに生きるのは不可能だから
迷惑をかけた時には「ごめんなさい」
迷惑をかけられた時には「お互いさま」
そう言える心のゆとりを持つこと

「みんな」と仲良くする必要はない
嫌い、許せない、あって当然
ただ恨むことにエネルギーを使わず
シンプルにそんな人、そんな場からは離れること

待つこと 見ること

待つこと 見ること この2つの重要性は、ヒューマンデザインに出会う前から別のところ(子育て関係)で教えられてきた。 子ども...

子どもに伝えてきたことは、もっともっと沢山あるけれど。

人間は社会的動物で、独りで生きていけるわけではなく、助けを借りながら生きていくのが自然なあり方で、「迷惑をかけてはいけない」とか「何でも自分で出来るようになりなさい」というのはちょっと、いや「かなり」違和感がある。

出来ることは精一杯すればいい。頼れるところは頼ればいい。疲れた時には勇気をもって休むことが大切。

そういうことが自然にできる人に育てたい。そうすることで批判する人もいるだろうけど、同時に色んな人が安心する。

助けを求めることもまた「自己責任」。自分からSOSを出せるようになりなさい。これは私が子どもの頃から兄に教えられてきたことでもある。

私自身凸凹激しく、出来ることと出来ないことの差が激しいから、「自分のことは何でも自分で」という呪いに苦しめられた。

数年前、ADHDと診断を受けた。注意欠陥多動性障害。いわゆる「大人の発達障害」。出されたお薬は「アトモキセチン(ストラテラ)」40mg/日。...

その中で出会った「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」という記事。

“障害者”というのは、「依存先が限られてしまっている人たち」のこと。健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。“健常者である”というのはまさにそういうことなのです。

本当にその通りだと思う。

頼れる先を沢山持つこと。頼れる先があると気づき、知ること。これは本当に大事なことだと思う。

中学生の時に1人の子に依存して大変な目にあっても誰にも相談できず苦しんだり、高校が合わずメンタルをやられ不登校になって転校したりした長女はそれを十分に知ってる。それは私たち親が「あなたはもう1人前だから、自分のことは自分で」という、中途半端な自己責任論を押し付けた大失敗の経験でもある。

次女は1年半後に高校を卒業する。ちょっと心配だから、18歳まではしっかり見守りたい。私の子育てのゴールはそこに焦点を合わせてる。

9歳~12歳くらいまでは親が半歩先から見守り、15歳~18歳くらいまでは横について徐々に距離を取って見守り、その後は後ろから見守る。「何かあったらいつでも言っておいで」だけ。

現実問題として、まだまだ経済的に完全に自立・自活することは難しいだろうから、「何かあったら」の中には「経済的支援」も親の中では覚悟の上で見守る。自己責任を子どもに持たせる以上、「何かあったら」の支援は親の自己責任として持っていたい。円と円が少しずつ重なる、その連続。

1年半後、子育てのゴールを切った後の自分の人生設計はまだ未定だけど、生物としての母親の役目を果たしたとして、後は「自分個人」に戻り、人生の再構築…いわゆる「第二の人生」的な?それが何かはわからないけど。

私の子育てのゴールは近い。

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