「達成感」というより「やりきった感」が好き

私個人は「達成感」より「やりきった感」が好き

「平和」 この言葉は多分マニフェスターならよく使うと思う。 なぜその場に居るのか、なぜその人と一緒に居るのか。「平和だから」 ...

ゴールがあって、そのゴールテープを切るというよりも、ゴールテープは切れなくても走れるところまで走り切った感。そっちの方が私には重要かな。

受験勉強にしても、何かの問題や障壁に向かっている時にしても、「自分はやれるところまでやったのか」が何よりも重要で、「やれることは皆やった」と思えたら、その後の結果に執着することはないし、うまくいかなくても悔いは大きく残らず、「仕方ないな」と納得できる。

「やれることは皆やった」と思えたら、後は自然に流れに身を任せられる。

恐らく、仙骨が白い人たちは特に、ゴールテープを切ることを目標としたら燃え尽きる可能性が高いのではないかと思ってる。エゴが白ければ「意志」ではなく「意地」になるかも知れないし。私は本来方向性も定まっていない人だから余計に、なのかも。

どんなタイプの人だって、身体を壊してまでゴールテープを切る必要はないと思うし、今の自分の身の丈で精いっぱい出来ることをやり切れば良いんじゃないかと思ってる。

今は無理でも来年は可能かもしれないし、そもそも自分が無理なく一生懸命、ストレス溜めずに出来るところまで、がその時の役割なんじゃないかと。

感情で動く私は、本来自分が興味ない案件だと途中で投げだすことになるから、初めから関わらないようにしてる(^^;

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