「飽きたから止める」と言える環境

私はめちゃくちゃ飽き性で、飽きたら前に進めない。「頑張れない」と同じく、めっちゃわかりやすい。

「頑張ること」「努力すること」は素晴らしいと思う。でもそれがその人の「存在価値」なのかというと、それは違うと思う。 私は頑張れない。い...

「つまんない(ー_ー」と思ったら、そこで終わり。そこにもう罪悪感はない。何故なら「面白い!」と思ってること、思ってる間は人の何倍も頑張れるし、何倍もモノに出来るから。

「飽きたら終わり」を前提に結婚もした(笑)夫は「飽きられたら捨てられる」と戦々恐々としてる…が、夫本人に飽きたわけではなく…既に「妻」という立場と「夫婦」という状態に飽きてて、それも子育てが済んだら止めるつもり(苦笑)しっかり経験させてもらいました。もう結構です。ありがとう(苦笑)

「飽きたら止める」は、世間一般にはあんまり受け入れてもらえない。「コツコツ」が美徳とされている世の中で、「コツコツ」が一切できない私は眉をひそめられる存在でもある。その度に怒られ、押さえつけられ、人格は否定され、反発しながらも自己肯定感は下がりまくる…という負のスパイラルだった。特に結婚してからは。

私の性格を熟知しているはずの夫ですら、「普通に」「コツコツ」を私に求め、それが出来ない私を「ダメな奴」として蔑んだ。今はもう、そんなこともないけど。

でも「飽きたら止める」という性格は、「新しいものに目を向ける、チャレンジする」という力でもある。「コツコツできる」「同じことを繰り返し延々とできる」が才能であるならば、「飽きたら止める」もまた才能だと思ってる。

仕事でいえば新企画を考え、プロトタイプなんかを作ってみる、実際にやってみるのは常に私。それを見て「いいな!」とさらに続けて行くのが「コツコツ型」の夫の役割。逆はほとんどない。

「飽きた。止める。」「次!」って言える環境。言っても怒られない環境。これがとっても大事だと思ってる。

飽き性=根気がない、では決してない。飽きないうちは、興味が続く間、情熱が続く間は、驚くほどの根気も根性もみせることがある。または、その「面白い!」の間の「最大瞬間風速」が、大きな何かを生み出すこともある。

飽きて止めて、別の何かに出会うかも知れない。

一旦休憩でもいい。飽きてるのにズルズル惰性で…というのは結構苦しいし、そんな時に得るものや、いいものが生まれることは少ない。下手したら集中力も途切れて、不注意になって危険。一旦休憩して、気分転換したら、また興味がわくかもしれない。

うちの母は「嫌々やるなら、するな」と常に言ってた。感情でしか動けない私には、真理だと思う。嫌々何かをするのは、自分に我慢を強いることになり、相手がいることなら相手にも失礼だと思うし、誰にとっても良くない気がする。

子どもが「飽きた」と正直に言ったら、「ワガママ」と捉えずに、それを受け止め、それをいつでも言える環境を大事にしてあげて欲しいと思う。その後どうするかは…一旦休憩なのか、違うことをするのか、何か工夫を凝らして目先を変えて続けるのか…色々ある、と思うんだよね。

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