私は絶対的に「評価」より「肯定感」派。「自己評価」「他人の評価」より「自己肯定感」、願わくば「他人(身近な人)からの肯定」もあると心強い。
自己評価が低い人は多い。
私も自己評価はどちらかというと低い。出来ないことは山ほどあるし、知らないことも山ほどあるし、ワガママだし、ワケのわからんこと言い出すし、しょーもないことにハマるし、気分屋だし、毒舌だし、意地悪だし、冷たいし…
何より
豆腐メンタル…orz
メンタルが超弱い(苦笑)すぐ凹むし、泣き虫。夜になると、何の理由もなくいきなり落ち込んでネガティブマインドになることがしょっちゅう。何でもかんでもワガママに反発する「勝気」なくせに、反面メンタルがすっごい弱い。
もうねー、こればっかりは仕方ない(^^;
どうにもならんことは「仕方ない( ̄ー ̄」とさっさと諦める、やるだけやっても無理なもんは無理ってことで諦める、そうすることで何とか保ってるようなもんで。
だから自己評価はかなり低い方だと思う。
他人からの評価も恐らく低い。でもそこは、私は全く気にならないから問題ない。そんな私でも自己肯定感が持てずに苦しんだ時期があって、それは「評価」を「自己肯定感」のベースに考えていたからだと思う。
この記事でも紹介した女の子の言葉。
「先生はわかってない。私はがんばらないと価値がない。休むとダメなんです」と訴えて大声で泣きだしました。(中略)
「私はもう、がんばって登校することができません。でも、がんばることをやめると、生きている価値がないんです」と泣きながら話をしてくれました。
頑張ることに自分の価値がある。頑張ってると自他共に認められることが、自分の価値に直結する。
頑張ることだけじゃなく、何かが出来る、他者より何かが秀でてる。だから自分には価値があり、だから自分ってすごいって思える、自分が大事だと思える、自分が素敵だと思える。って…どうなんだろ。
ブサイクな犬が「可愛い♪」、おバカな子が「可愛い♪」、手がかかる奴が「面倒くさいけど愛さずにいられない」、そういうのって沢山あると思うんだよね。
私は私自身、出来ること/出来ないことの凸凹激しすぎて、感情の凸凹も激しすぎて、出来が悪いし、心の狭いちっぽけな人間だと思ってて…でもそんな自分が
ふふふ、可愛いやないか(★´∀`)ノ
面白い奴め Ψ(`∀´)Ψヶヶヶ
って思える(爆)
失敗しても、突然激凹みしても、豆腐メンタルがぐちゃぐちゃになっても、疲れ果てて起き上がれない時があっても「ちっぽけな奴め、よしよし」って頭の中の誰かが言ってくれる。
所詮それが今の身の丈なんだよ。弱い自分は弱い自分で認めたら良いじゃん。何が何でも強くなる必要もないし、時には自分より強い人の手を借りれば良いだけの話で。
自分をそのまま認めて受け入れる。それが何より大事な「自己肯定」。それが「自分を愛する」ってことの大事な土台だと思ってる。
だから「評価」をベースに「自己肯定感」を育てるのは危険だと思ってて、評価を無視することは無理だと思うけど、「評価」と「自己肯定感」は分けて考えた方がいい。
自己評価も他人からの評価も、「上げよう」「上げねば」「上げさせねば」と思う時点ですでに無理がかかってる気がする。「評価」なんて、その時々、相手によって変わるのにね。