「成長」って必要…?

「成長」は本当に必要なのか否か、という話になった。

私的には、「成長」とは、「変化の中でもより良く見えるもの」にしか過ぎない。例えば、小学生の背が伸びるのは「成長」で、歳いって背が縮むのは「老化」。同じ「変化」なのに、より良く見えるものは「成長」と呼ばれる。

どんなものでも、有機物であれば変化する。勝手に変化する。必ず変化する。その変化が「より良く見える」ものであっても、「より悪く見える」ものであっても、大差ないのでは?というのが私の意見。

「信念が出来た」のか「頑固になった」のか。「丸くなった」のか「無頓着になった」のか。「賢くなった」のか「暗記しただけ」なのか。…いっそ、どっちでも良くね?勝手に他人が判断することだし、人によって「成長」なのか「劣化」なのか、判断変わるんじゃね?

なんとなく他者から評価されそうなのが「成長」。私自身はそんなもの(他者からの評価)はそんなに求めてないから、どうでもいい。むしろ「成長したね」とか言われると「どこから目線やねん(ーー;」とか思ってしまう(エベレスト級の自尊心…(苦笑))

でも「変化」は面白い。昔の自分と比べて、変化したこと、してないこと、どっちも好き。「変わったね」も「変わってないね」も、どっちも嬉しい。

向上心がない…わけではないけど、向上しなきゃ!とは思わない。「変わらないと」とか「変わりたい」とかも思わない。むしろ「勝手に変わるでしょ」派。

生きてたら色んな人と出会い、色んな経験をし、情報が入ってきたり、会話をしたり。その都度、自分の中の何かが刺激を受けたり、磨かれたり、削られたり、傷ついたり、癒されたり、膨らんだり、凹んだり。それで「勝手に」変わってると思ってる。

でも、大きく変化するのは、「気付いた人」だけかも知れないなー。「成長」云々にはこだわらないけど、「気付く」のはしたいな。

立ち止まって見る。よく見る。感じる。考える。顧みる。想像する。仮説、検証。

そこから得た気付き、その結果もたらされた変化が、他人から見て「成長」でも「劣化」でも私は構わない。どうせ…また変わるし(苦笑)

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