「待つ」こと 「見る」こと

待つこと

見ること

この2つの重要性は、ヒューマンデザインに出会う前から別のところ(子育て関係)で教えられてきた。

子ども(の成長)を待つこと、子どもをよく見ること。それが何より重要だと。

よく見ることは理解につながる。英語で I see. が「わかった」となるように、「見える、イメージできる」ことは「理解した」と同義語。例えそれが「自分なりの理解」だとしても、ちゃんと見てるかどうかが大切。

私の中では「時・空間」と「存在」が全て。ある人は「いま、ここ、じぶん」と表したけど、「今」だけでなく「過去」も「未来」もその時の流れ全て、全ての空間、全ての存在。その中で「いま」と「ここ」に「じぶん」が点として存在している。

私はクリスチャンではないけれど、聖書は読み物として読み、旧約聖書の中に大好きな句がある。伝道の書、第三章。

天が下のすべて事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。
働く者はその労することにより、なんの益を得るか。
わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを始めから終わりまで見きわめることはできない。

どんなものにもタイミングがあり、流れの潮目はいずれ変わる。自分にとって良くも悪くも変わる。それをいちいち「なんで?!」と驚いたり嘆いたりすることなく、「そういう流れか」「1つのサイクルが終わって次に移るってことか」「ここでの必要な学びは終わったんだな」と思うと、気が楽になる。

同じように、「いずれ流れは変わる」「いずれタイミングが来る」「タイミングが来なければ自分には必要なかったもの」と思えたら、待てる。子どもの成長(変化)を待つように、時も、自分の変化も、相手の変化も、待つだけ。待つことが苦手な現代人には大きなチャレンジだけど(ーー;

何が起きてるか見る。流れに飲み込まれてアップアップして、右往左往するだけじゃなく、冷静に見る。面白がって見る。自分の内側、周りで何が起きてるか。

どんな時間をどんな空間で過ごしてるのか。それは自分の心が満たされるものなのか。

人生それだけなんじゃないだろうかとか、最近思ったりする。

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