「所有物でありたくない」という感覚

「個」を強く意識するマニフェスターだからか、気位が高いのか、「誰かに所有されている」という感覚が嫌い。「俺の女」とか、別に勝手に思う分には構わないし、他人に向かって言うのは構わないけど、こっちには全然その気はないから私に向かって言われると「カチン」とくる。「私は誰のものでもないし、誰のものにもならない!」って。

そもそも人は人を所有することは出来ないハズ。一緒にいる、というのは、自分たちの「時間」と「空間」を共有している、ということなんじゃないかなぁと思ってる。

結婚してようが、親子だろうが、「あんたの所有物じゃないし!」って当たり前に強く思う。ただし、これがタイプに由来するものならば、相手のことは「自分のもの」と思う人が出てきてもおかしくないかも…(汗)

私は、大事な人は「私が守るべき存在」と思う。老若男女関わらず。私が出来る限りのことはして守りたい、と思う。「我が民」意識?(笑)どれも口に出しては言わないけど、心の中ではそう思ってる。役に立って認められたい、とは全然違う。出来ることはしてあげたい、と思ってるだけ。そこはかとなく上から目線で笑えるけど…

だからといって、とにかく色んな方面で「自由」が必要だから、拘束されると息苦しくてかなわない。やりたいことをやりたい。これが揺るぎない大原則だから、「俺という彼氏が居ながら、他の男と会うなんて!」とか言われた日には、「はぁ?」理解できないというか、ムカっとくるというか。

人間関係の間にも、ある一定の距離が必要なのはそのせい。邪魔されない距離感。

どんな人でもその辺は同じだと思う。まぁ、中にはガチガチに束縛されたい人もいるかも知れないけど…。多くの人は邪魔されたくないだろうし、多くの人は束縛感からくる息苦しさは嫌いだろうし、身動き取れない環境なんて好きじゃないと思う。それがマニフェスターは特に。

もしかしたら、誰かと繋がっていることに安心感を得るジェネレイターは、その辺の耐性はマニフェスターより断然あるのかも。

マニフェスターを相手する人は…大らかな心が必要だろうな…と思う(汗)

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