子どもの頃から「やれば出来るのに」という言葉が大嫌いだった。よく言われた。
「やりたくないから、やらないだけ」という反発もあったし
「やっても出来ないことは山ほどあるのに、何を無責任に言うてるねん(ー_ー」とも思ってたし。
今でもそれは全く変わらない。私は子どもにも「やれば出来る」とは言わない。100%言わない。むしろ「出来ないこともある」と教える。
でも、「やりたかったら、やってみれば?」とは言う。ちょっとやってみて、または精一杯やってみて、出来れば出来たで、出来なかったら出来なかったで、納得いくじゃん。
「やれば出来る」には「努力すれば出来る」が含まれてる。つまり、出来なければ、それは努力が足りないからだ、となる。いわゆる「根性論」。
「やれば出来る」と言われ続けた子は、出来なかった場合「自分が悪い」「自分の努力が足りない」「自分の能力が低い」と、自己肯定感を失っていく。
親があまりにも「出来すぎる人」の場合も同じ。「やれば出来る」の根性論でやってきて、でも本当は出来なかったことも、今でも出来ないことも沢山あるはずなのに、そこを子どもには隠して「一生懸命努力したら何でもできる」の一辺倒だと、子どもは圧倒されるばかりで、「自分は出来損ないなんだ…orz」と感じるばかり。
そもそも「ポジティブ信仰」みたいなのが苦手なんだよね。
なんせ、☆キラキラ~☆みたいなのは全般苦手かも?(^^;
いつでもポジティブじゃないと!って…疲れるわっ!(笑)ネガティブの先にあるふわっとした「前向き」なテイスト、くらいが私は好き。
どれだけ一生懸命やっても、出来ることもあるし、出来ないこともある。到達できるところもあれば、到達できないところもある。叶うこともあれば、叶わないこともある。
それは「まだ」というタイミングの問題かもしれないし、そもそもの才能、備わった能力の問題かもしれない。
山を登るには1つの山道だけじゃなくて、沢山の道があるように、違う方法なら出来るのかもしれない。
同じように「やっても出来ない」と思う必要も全くなくて、要は「出来るかもしれないし、出来ないかもしれないし。」ってこと。「出来る!」って強い期待の先には、強い失望が待ってるかもしれないから要注意ってことね。
簡単に、無責任に励ますようにか背中を押すようにか、Yes, You Can! とか、「やれば出来る!」って言って信じ込ますのは、色んな意味でちょっと怖いな。