ネガティブな感情と、ネガティブな考え方は違うと思ってて。
ネガティブな感情と呼ばれるものは、つまり「LOWな気分」。悲しみ、辛さ、寂しさ、切なさ、胸が締め付けられるような想い、やるせない気持ち、涙が出るような気持ち。時には怒り、憎しみ、ドロッとした気持ち。
アゲアゲの感情だろうが、サゲサゲの感情だろうが、感情そのものに善悪はなくて、どんな感情も持っていいし、持って普通だし、感情は言葉で表せないほどのバラエティがある。
自分の感情も、他人の感情も、否定してはいけないと思ってる。
「悲しむな」とか「怒るな」とか、トンチンカンな言葉だなぁと思う。
ネガティブなように思われる感情も、人間の大事な感情の一部。自然に起こる感情に良い悪いもない。悲しみを知らない人は人の悲しみもわからない。怒りを知らない人は人の怒りを理解できない。
悲しい自分、寂しい自分。その時は辛いけど、感情は波だから、いずれ気分は変わる。自分がそこに固執しない限り。
注意が必要なのは、ネガティブな考え方、モノの見方、だと思ってる。
例えば、悲しくなることを言われて、「あの人は私を嫌ってる」とか、「私は嫌われてる」とか。これに「そうに違いない」とか加わってくると要注意。
私が言えることは「そうかも知れないし、そうでないかも知れない。他人の気持ちはわからない」でしかない。何か事情があるのかも知れないし、単に虫の居所が悪かっただけかも知れないし、言葉のチョイスが間違ってただけ、もしかしたら単なる自分の被害妄想かも知れない。相手には全くそんな気が無かったのかも知れない。相手の真意なんてわからないし、確認しようもない。「私のこと、嫌い?」と聞いて、果たしてその答えに納得できるんだろうか。あえて出来ることといえば、自分が悲しくなったという事実を伝えること、それに対しての話し合いでしかないような気がする。
「私は人を傷つけてばかりいる」「私は何の役にも立たない」「私は生きてる価値もない」とかいうのも同じ。そうかも知れないし、そうでないかも知れない。別の誰かは自分の存在を喜びとしてくれているかも知れない。自分が気づいていないだけで。もしかしたら将来それを実感させてもらえる時があるかも知れない。
人生の中では何度もLOWな気分になり、沢山の失敗もあり、傷ついたり傷つけたりしながらネガティブな考え方になるのも当然なんだけど、考え方やモノの見方にも固執せず、常に「そうかも知れないし、そうでないかも知れない」と思える心の余裕をほんの少しだけでも置いておく方がいい。
確実にわかるのは「自分の気持ち」しかなく、それがLOWな感情でも、矛盾だらけで複雑怪奇でも、それは「正直な気持ち」として受け止めた方が健全。
そこからの決断、行動が重要。辛いから自傷行為をするのか、怒ってるから怒鳴り散らかすのか。憎しみの挙句、復讐するのか。果たしてそれは、相手の気持ちを自分で勝手に決めつけた結果の行動ではないのか。
ネガティブな感情は大事な感情の一部。人生の彩りの一部でもある。
ネガティブな考え方、モノの見方からの決断、行動は要注意。
いずれにしても、気分がLOW過ぎる時は大人しくそれに身を任せ、貝のようになるもよし、創造的に吐き出すもよし。次の行動はいずれ気分が浮上してきてから、で良いと思う。