利他か 利己か

利他か利己か、よく言われる議論。私は「どちらも完全に同期する、完全に繋がってる」と思ってる。同じ球体で見えてる部分の表面と裏面だけの違い。

利他主義は美しい、ように見える。他者のために、という大義名分。喜んでもらえると嬉しい。でもここの罠は「相手を喜ばせよう」という動機に基づいてしまうことがある。これは、たいてい…いずれズレる。

何故ならそれは「他人軸」であり、「良かれと思って」になりがちで、「自分」を置き去りにしがちになるから…我慢の限界が来て爆発したり、体力の限界が来たり、どこかで無理してて…続けられなくなる人が多い。

プロファイルが高くなればなるほど難しくなるけど。

ジェネレイターは自分の満足をとことん追求し、自分の身の丈でこなせるタスクをがっつりこなし、不満を溜めないのが吉。本当にそれだけ。そうすることで他者にきちんと還元される。

一番難しいのはプロジェクターなんじゃないかな。他者の喜びが自分の喜び(成功感)に還元されるわけだから、他者に喜んでもらえないと自分が喜べない。

自分だけで満足できるジェネレイターや、誰にも邪魔されず自分の好きなことが出来る平和があればハッピーなマニフェスターと違って、完全に「他者」が必要なタイプ。…生き辛さを抱えているプロジェクターは多いよね…。延々と他者のことばかり考えてるのに、それをわかってもらえないことも多いし。頼まれる前に口を出したり手を出したりするから、苦々しい思いをすることになっちゃうんだけど。

他者の喜びを絶対的に必要とするから、プロジェクターは「喜ばせたい」になりがちで、オーバーワークになりがちな気がする。いや、天然のプライドの高さがセイフティネットなんだから関わる仕事や人を選んだら良いじゃん、って思うんだけど。その能力の高さが、逆に「自分がやらねば誰がやる」になると破滅するからね、って。

もっと利己的に(?)、「どうぞ」が来るまで待ち、権威がOKを出さないものは関わらない、権威がOKを出したらGO、とすることで、他者に大きな喜びをもたらし、自分ももっと心から喜べるものを与えられる。

「どうぞ」って相手からお願いされるまで、招待されるまで、自分の言動を待つ。特に仕事や人間関係。「『あなただから』と頼ってくるまで黙って待つ」という度胸というか、器の大きさが必要なタイプに見える。

甥と従弟の息子がプロジェクター。2人とも6番ライン。「何かあれば言っておいで(^^ 」とだけinformして、行く末を注意深く見守ってる。

リフレクターも「他」が必要になる。見るべき環境によって喜び(驚き)が左右される。

マニフェスターは…「ナチュラル・ボーン・わがまま」だから、やっぱり「怒り」を溜めないことが大事。怒りを溜めずに済む環境をinformしながら作ることも、自分の責任になる。そしてその「わがまま / やりたいこと」が、どれほど利己的に見えても、必ず他者に還元される。

「他者のために」と意図しなくていい。そこは二次的で良い。どこまでも「自分が本心からやりたいこと / 嫌だと思うこと」だけに焦点をあてる。

感情権威なら優柔不断に迷いに迷った挙句の「気持ち」、脾臓権威なら「直感」、エゴ権威なら「意志」、仙骨権威なら「体内エネルギー」、セルフ権威やメンタル権威なら「声に出したり相談しながら耳に聞かせる」感じ?月の周期は…1ヵ月じっくり様子を見る、とか。

まぁ、これは「捨てる神あれば拾う神あり」的でもあるんだけど、何をしてもしなくても、嫌がる人もいれば、喜んでくれる人もいるわけで。

ただ、やっぱ自分が関わる目の前の相手とは共に喜べる方が良いよね、って私は思うだけ。

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