マニフェスターの本気の喧嘩/怒りはエグい

本来平和主義者のマニフェスターの怒りが爆発するとき…それはそれは「エグい」です。

私は結婚するまでそれほど怒りまくることもなく、喧嘩もしたことがなかったのですが、結婚してからは、それはもう…(^^; 歳の近い男三人の長男である夫のモノの言い方も激しく、本人は「ただの話し合い」と言ってるものが、穏やかな家庭で6年間女子校育ちの私には「怒鳴ってるやん」。

おかげで「喧嘩」「ピュアな怒り」というものを学ばせてもらいました(笑)

やりたいことを止められたとき、禁止されたとき、それが命令形で、怒鳴り声で、マウントをとって「何がなんでも止めさせる」とコントロールしてこようとするとき。指をさされて「お前は…!」なんて罵倒なんてされた日には…。

相手が「本来対等な関係である」夫だったからこそ、怒り爆発。

自分でも驚くくらい我を忘れ、怒鳴りまくっていました。

「私がやりたい、って以上の理由はどこにもない!」

「アンタに私の道を塞ぐ権利は一切ない!邪魔!どいて!」

「誰に向かってそんなモノの言い方してるの?!」

「なんで私がアンタの言うことを聞かないとアカンの?!」

40歳の頃でしたが、普段穏やかな私が夫と取っ組み合いの喧嘩になるほどの怒り。それまでの長年の「我慢」の蓄積もあって、全てが爆発。夫は夫で、あまりにもおかしな状態の私を更にコントロールしようとしてきて、抑圧してくる。

今から考えると、もう完全に最悪の負のスパイラル。火に油以外の何物でもない状態でした。最後の方には、殺気までフツフツと…(怖)子どもが居なかったら犯罪者になっててもおかしくないかも、と思います。子どもが居てくれたから、首の皮一枚の「理性」で自分を止められたようなものです。

この頃、怒鳴り、叫んでいた言葉の数々はどれも、マニフェスターの奥底の言葉のようにも思えます。自分が自分で無くなったような感じ、知ってる自分で無くなったような感じもあったし、本性むき出しで妙な高揚感、解放感もあった気もします。

その頃の私は特に、「他者のため」「子どものため」「社会のため」という大義名分を被せたエゴのために行動をとっていました。それっぽく、正義っぽく聞こえるけど、結局は自分のエゴで、しかも今から考えると最悪なことに「実はその活動に参加したくないけど、やらねばならぬ、私がしなけりゃ誰がやる」という使命感&膨れ上がったエゴでの決断、行動をとっていました。平和がどこにもない状況で。

なんというか、環境も決断も、自分の状態も最悪で、一点集中して怒り爆発してた感じです。それが何か月も続きました。

結果、何もいい結果は生まず、私も家族も疲弊し、長女が抱えていた悩みに気づいてあげることも出来ず、子ども達にも苦しい時期を過ごさせてしまいました。マニフェスターである私の怒り爆発のエネルギーの被害者は、ジェネレイターの長女だったかもしれません…

私はそれからしばらく経ってから、2年間くらい酷い「抑鬱状態」になりました。疲弊した家族、その頃に大きなヒビが入ってしまった夫婦関係、ADHDの症状も激しくなり、「ここじゃない」って家出もよくしていました。

その頃に感じたのは「感情の流れを守る堤防が崩れた」状態で、感情が散らばり、あちらこちらに流れ出てしまう。堤防を少しずつ修復したと思ったらまた崩れ…の連続でした。怒りの大爆発のエネルギーは外に向かうけど、同時に自分自身も傷つけるものだと思っています。なんせ…疲れる(苦笑)

でも、この頃の状態の自分を知ったこと、振り切ったノットセルフの恐ろしさを知ったことで、「二度とアレは経験したくない」と思えるから、今慎重に自分の状態を鑑みられているので、二度と経験はしたくないものの、大きな反省、勉強材料になってるなと思います。

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