「伝わらない」は悲しみ 「わかってくれない」はイライラ

自分の伝えたいことが伝わらない時がある。伝えても誤解されたり、全く理解されなかったり。

最近思うのは、「伝わらない」は純粋な悲しみや失望で、「わかってくれない」は「わかって欲しい」という欲求が満たされないイライラ、そこに繋がるんじゃないかと。

もちろん「わかって欲しい」と思うから伝えようとするんだけど、伝わるかどうか、相手がわかるかわからないかは、自分の言葉のチョイスや言い方、相手の受け取る能力や経験、自分と相手とのその言葉に対するイメージの違い、感性の違い、タイミング…そんなもの全てがマッチするかどうかによる。

その立場に立たないとわからないことも多い。会社員だからわかる、経営者だからわかる、親だからわかる、主婦だからわかる…色々ある。そう思うと「わかる、わかってもらえる」ことの方が少ないんじゃないか?とか思ったり。

最近では、心の中では「わかってもらえない」「いずれわかってくれるかも」という前提で話をすることが多い(笑)諦めてるわけじゃないけど、「わかってもらえたら嬉しい、ラッキー」くらいの心持ちで。

何故なら、「わかって欲しい」というエゴが強すぎると、相手の気持ちを置き去りにしたり、無理やり論破したり、相手のペースを考えず自分本位にコントロールしようとすることにつながると思うから。そしてそれはどちらかにイライラを生むような気がする。

伝えたいことは伝え、その時伝わらないなら、自分の言い方、言葉のチョイス、相手の状態、タイミング等々がマッチしてなかったってだけの話で、いずれこちらの思いが伝わるなら、わかってもらえるなら、それでいいと思う。もしかしたら、自分ではなく、他の人の言葉の方がその相手にはすんなり飲み込めるのかもしれない。そういう機会があるかもしれない。だから、必ずしも自分がわからせようとする必要はないとも思ってる。

マニフェスター的には「伝わらない」は致命的でもあるんだけど(;’∀’) ちょっと視点が遠すぎて、しかも抽象的過ぎて、「??」だけを生む結果にもなりがちなんだけど、まぁ「??」だけでも残れば良いかな(苦笑)いずれ、ね。わかる人が、自分のタイミングでわかってくれたら、それで良いかな。

自分自身だって、若い頃に大人から言われた言葉の意味をようやく理解する歳になって、「確かに」と思ったり、「いや、やっぱあれは私には合わないけど、そういう人もいるということは理解できる」と思ったりするから、何もかも今すぐわかる、わかってもらう必要もないんじゃないかと。

そう気長に思えるようになると、「伝わらない」の悲しみも、「わかってくれない」の怒りも随分減った。怒りの前にある悲しみそのものに、飲み込まれることが減った。

とはいえ、目の前の相手に「伝わらない」は…やっぱ悲しいけどね。

「伝わらない」の悲しみは、私的には許容できる。でも「わかってくれない」のイライラは…その時点で立ち止まって、どうするか。「待つ」か「離れる」か、で選択する。いずれにしても「いったん休止。他所に目を向けて、頭の片隅にだけ置いておく案件」になるかな。

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