陰陽 イン・ヤンのタオイズム(道教) 老荘思想

タオイズム(道教)との出会いは8年前。それまでピアスとかでも「インヤン」は「ピースマーク」「ネイティブアメリカンジュエリー」と並んで好きなモチーフで、ちょっとした縁をもらえたこの動画。

インヤンのマークの意味は知ってたけど、それほど深く考えたことはなくて、とっても興味深く見た。その時の感想は「めっちゃ面白いっ!」今でも(笑)

それから老子の本とかも読んだけど、荘子の方がもっと好きかな。荘子の本を初めて読んだとき「私が書いたんちゃう??」って思えたくらい「わかるー!」だった。


荘子 第一冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

難解な部分もあるから、全部が全部「わかるー!」とはならないけど^^;

それでも大好き。

陰と陽の二元性は、ヒューマンデザインでもベースになってて、それもあってヒューマンデザインに出会ったとき、スッポリとハマった。

物事には裏と表がある。陰と陽がある。物事は見方、見てる視点で全て変わる。何かが真っ白なわけではなく、何かが真っ黒なわけでもなく。そんな自分が抱えていた、漠然とした「感覚」を、全部言語化してくれてる「二元性」。

宇宙からの物質とか波動とか、正直見えないからあんまりよくわからないけどね。

流れに沿い、流れに抗わず。

そして私なりの解釈としては「流れは変わる」。何もかも、一生続くわけじゃない。

自分のその時の感情を全て肯定すると、ポジティブもネガティブもあって、嬉しいことも悲しいこともあって。何もかもを喜ぶ必要はない。笑うときもあれば泣くときもある。

ネガティブな感情と、ネガティブな考え方は違うと思ってて。 ネガティブな感情と呼ばれるものは、つまり「LOWな気分」。悲しみ、辛さ、寂し...

嬉しいことも、悲しいこともあって、楽しいことも、辛いこともあって、でもそれも一生続くわけじゃない。何かの流れの一環で、何かのサイクルの一環で、流れに飲み込まれて右往左往するんじゃなくて、「これは一体どこに帰着するんだろう」と興味に変える。

考えてもそれが合ってるかどうかわからないし、想像通りに進むとは限らなくて、考えすぎても仕方ないから、流れや結果を見る。だいたい何か「気づき」があって、反省があったり、今後の参考にしようってことがあったりもする。同じことが起きたとて、何を気づき、何を反省、参考にするかは人それぞれ違うだろうけど。

そんなことをする必要もないのかも知れないけど、私は日々、特に辛いことがあった時にはそうやって過ごして…自分を慰めるというか、落ち着かせるというか。

陰だけでも陽だけでもない。それは常に行き来してて、混ざり合って。だからほとんど全ての人やモノ、人生は、私に言わせると「グレー」。明度が高いか低いかだけの違い。

自分自身、自分の人生は「白黒=51:49」くらいで良いかな^^;

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